2005年07月03日

懐かしい手紙 ありがとう

学生時代の友達から手紙をもらった。

HPやブログを見ていてくれたそうだ。ちょっとだけ無断引用すると

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活躍は以前よりHPやらブログ等で存じ上げておりました。
もう何年も経ちますが、畔上道雄著「大学改革論」も読ませて頂き、
その内容よりも「あとがき」に感銘を受け同窓生のグッド・ジョブを
大変嬉しく思った次第です。

本日メールさせて頂いた理由ですが、約30年ぶりに沖縄に行く事に
なったのがキッカケです。そうです。学生時代貴兄の帰省に合わせ、
初めて飛行機に乗り沖縄に連れて行って頂き、島でキャンプして貴重
で楽しい経験をさせて頂いた,あの時は…

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もちろん、「ぜひ酒をのもう」と返事をしてある。

懐かしいなあ。たしか、渡嘉敷島に行ったような記憶があるのだが。7月だったけどキャンプ場でハダカで寝てるとまだ寒かった記憶が…(高校生みたい)。

こんなことがあるからインターネットは面白い。
  
Posted by 渡久地明 at 18:54Comments(0)TrackBack(0)

2005年07月03日

沖縄の発想を活かすための、沖縄知事

橋本龍太郎元総理大臣に沖縄県知事になってもらおう、という人がいて、私もそれは面白いと賛同しているわけである。

 というのも沖縄には優れた発想もそれを実現する潜在力もあるのだが、これを政治的に実現させる力が弱いと思うのだ。

 例えば、沖縄フリーゾーン。フリーゾーンは古くから世界中にある制度で、ヨーロッパのいくつかの小国は自由貿易地域から発展した。

 アジアでは香港、シンガポール、台湾の輸出加工区、韓国の輸出加工区、中国沿岸の深セン、珠海、上海、泉州、海南島など沿岸部がある。これらのうち、深せん・珠海は1980年代半ばに私も取材した。その後、台湾、韓国、泉州、海南島なども取材している。

 アメリカはカリブ海沿岸諸国がタックスヘイブンとなっているが、フリーゾーンの一種である。アメリカ準州のグアムもフリーゾーンである。だから輸入品はどこでも免税である。

 アメリカ国内にもフリーゾーンは数百あり、ハワイ、フロリダ、サンフランシスコなどを1980年代半ばまでに取材した。

 これらの模様は当時の沖縄タイムスに24回の連載となって残っているが、手元にないので、そのうち資料室からコピーを取り寄せてデジタル化して再公開したいと思う。大変好評で、その後の沖縄自由貿易地域那覇地区の開設に弾みをつけた。

 さて、復帰前の沖縄にはフリーゾーンがあった。これはアメリカから制度を取り入れたもので、アメリカのフリーゾーンは1929年の世界恐慌とそれを乗り切ろうとしたニューディール政策の一環として取り入れられたのである。

 単純に外国からの輸入品を米国内に受け入れるのではなく、半製品を輸入し、米国内のフリーゾーンで米労働者を雇用し、付加価値をつけ、輸入するなら関税を大幅に免除するというコンセプトである。現在でも米国に進出している日本企業の工場はこの制度を活用しているはずである。

 琉球政府時代の沖縄フリーゾーンは野球のグローブを造ったり、トランジスタラジオなども造った。米大手半導体メーカーが沖縄フリーゾーンに工場として進出する計画を立てたが、「国内産業保護」の名目で当時の通産省が没にしたというエピソードを忘れてはならない。非常に窮屈なワクがはめられ、フリーゾーンはできたがその後、消滅する。

 しかし、この沖縄フリーゾーンの導入をきっかけに、その後、台湾、韓国が自国で使いやすいように翻訳し、次々に輸出加工区となって実現、それぞれの国の高度成長に貢献する。


 復帰後の沖縄振興法には「自由貿易地域」の項目があり、沖縄に自由貿易地域を造ることができる、とあるのは、復帰前の沖縄がこれほど自由であったのに、復帰後、その自由な発想を奪ったと思われるのを避けたからではないかとさえ思えるほどだ。しかし、長い間、沖縄フリーゾーンは再開できず、再開したら次から次に政令がでて、何もできない制度に成り下がってしまう。(以下、続く)

  
Posted by 渡久地明 at 10:43Comments(0)TrackBack(0)