2005年12月03日

日本は米国債を売って世界中の国債を買え

とサミュエルソン教授(米のノーベル賞学者)が静岡新聞に書いている。それに感動して、日本経済復活の会の小野盛司代表がメールマガジンで次のような論説を行っているので、紹介したい。

今日はブログのタネがたくさんあるなあ。  
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Posted by 渡久地明 at 19:30Comments(2)TrackBack(0)

2005年12月03日

2005年12月03日

失業率高水準もったいない

本日の琉球新報、経済面の記事の見出しである。10月の完全失業率は8.44%と高水準である。

記事は日銀那覇支店が県内の雇用情勢を分析し、人手は足りないが、労働力は余っているとしており、人材育成で雇用のミスマッチを改善したり、好調な観光を軸とした新産業の創出で雇用を生みだすなど積極的な取り組みが必要としている、というもの。

雇用のミスマッチについては労働者の資質の面でたとえば新規開業のホテルの場合、即戦力が欲しいいために県外に求人を出すケースが多いという。また、労働条件では非正社員の求職は増えているが、求職者は公務員や長期安定雇用、高収入を求めているため非正社員の求人数を満たせないとしている。

解決策として、人材育成、職業訓練、正社員雇用に対する助成などに期待している、という。

で、記事中には「失業率高水準がもったいない」という文言は見当たらないのであるが、これは見出しを付けた整理部員のセンスが光る。良いセンスである。

なお、わたしは日銀那覇支店が言う職業訓練や人材育成への助成よりも、現実の職場を増やすことが解決策であり、そのためにはどんどん品質の高いホテルを増やし、観光産業を伸ばすのがいいと考えている。あるいは、返還軍用地の再開発がよい。つまり、景気を良くするのが先なのだ。沖縄では人材育成と称して補助金をもらっている業者がいくつもあるが、これは変だ。解決策はあるのに、それをやるのが困難だから後回しにして解決策のまわりをぐるぐる回っているだけだ。  
Posted by 渡久地明 at 15:00Comments(5)TrackBack(1)

2005年12月03日

「改革」が好きな人は仕事が出来ません

先日トラックバックをもらって、驚いた(感激した)のだが、bewaadさんが構造改革に関連して、最近感銘を受けたとして、次の文章を引いている(http://bewaad.com/20051128.html#p02)。(文字が化けていたので当該トラバをプレジデントブログ担当者が削除したようだ)

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いっぱんに「改革」の好きな人は仕事ができません。というか仕事ができないのは、制度のせいだとおもって、改革をしたがります。狭い範囲の見聞ですが。そういうひとはカリキュラムをいじるのが好きです。



もっとも(本当の)現場では、「改革」は自発的になされる場合がほとんどありませんが。というか日々、このような「改革」の残務処理に追われていて、そのような余裕がない、というべきかもしれません。(遠い目。)



yeuxquiの日記
http://d.hatena.ne.jp/yeuxqui/20051125

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上の改革とは大学改革らしいが、「改革の好きな人は仕事が出来ない」と言うのは、目からウロコである。確かにそのような実例がごろごろある。

何年か前、総合事務局のカラ出張が新聞で問題になって、わたしも大いに批判したものだが、数年後、事情通に話しを聞いたら、

「あの記事そのものは仕事の出来ない連中が、出来る連中を追い落とすために、新聞にリークして問題になった」

と詳しい内容を聞いた。で、優秀なのが配置換えになって、無能なものが出世したのだろうとわたしは理解している。

しかし、改革とはそんな気楽なものなのだろうか。

もう25年前になるが「大学改革論‐キャンパスに灯をともそう」(群馬大学名誉教授・工学博士・畔上道雄(故人)著、品切れ)という本を作ったことがある。内容ももちろんよく覚えているが、ここで言う改革とは、たとえば、3年間在学したら博士号がとれるような制度は練士とでもいってやめ、全部公開の論文審査で評価すべきというものや、

学問を極めるという大学本来の機能を取り戻そうという話だった。東京大学は天皇のために出来た大学であり、国家の役に立つ人間を造ることが目的であり、学問を究めようとする姿勢は開学の当時にはなかった…、と話は続き、

戦後、GHQが中央審査会を造って大学教授を審査したところ、ほとんどの教授達が落第する羽目になったわけだが、旧帝大と一部私立については、GHQに対し審査の免除を工作し、クビになるはずだった教授たちが、無審査で教授となった。一方で、審査を受けて教授となった人たちももちろんいた。しかし、その後、地方大学も審査を自分で行うという特権を次々に得て、大学教授と大学の質はどんどん下がっていく…。これを例外無しの中央審査の昔に返すべきである、と大学改革を提唱したのだった。(1970年代の原稿)

わたしは、改革というのは困難を要するが、質を高めるための上のようなものだと思いこんでいたが、最近の改革は規制を緩和しろとか、特区を造れとか、とにかく楽な方向に流れているのである。そこで考え直してみたら、マンションの構造計算も、金融ビッグバンも責任ある仕事をすべきところで、イージーな規制緩和がどんどん進んだことが分かる。

まるっきり終戦直後の日本の有名大学が、審査を逃れるために自分で教授の資格を出せるという特権を得たのと同じことを、日本中のあらゆる部分に(聖域無しに)すすめているのが、小泉改革である。これじゃあ、公立学校の生徒の学力が低下し、使命感の薄い会社が増え、国民生活の質が落ちるのは当然だろう。ばかばかしい。そういえば政治経済のテレビ番組に出てくる大学教授たちもほとんどが構造改革派のバカばかりだなあ。

そして、政府は景気をよくし、国民の所得を増やすという最も基本的な仕事を難しいから(ホントは簡単なのだが)といって放棄し、国民には痛みに耐えろ、支出を減らして財政を黒字にするのが最も大切だといっているのだ。主客転倒とはこのことだ。  
Posted by 渡久地明 at 11:00Comments(3)TrackBack(0)