2005年06月26日
ツルハシ摩文仁事件=遺骨は出なかった事件
身近な戦争体験で述べたようなことは、他にもある。(このエントリは6月18日の鈴木氏のコメントに応えるものです。他にもリクエストがありましたので身近な戦争体験の続きとしてお読み下さい)
23、4年前になるが、沖縄地区税関に名物税関長、譜久原さんがいた(故人)。
譜久原さんは陸軍中野学校の出身者らしいといううわさがあり、記者懇談会(沖縄地区の輸出入統計、ときどき白い粉の事件)で沖縄戦の模様も披露していた。その中で本人の目撃談として、米軍が摩文仁に50m四方の巨大なプールを堀り、転がっている死体をブルドーザーで投げ入れ、土をかぶせた。が、戦後これが発掘されたというニュースを聞かない…、という。
この話は、先輩記者らは何度も聞いているらしく、またかという顔をしていたのだが、駆け出しのわたしは大ニュースだと思って、ときどき税関で顔を合わせており、よく酒も飲んでいた日刊紙記者とTV記者に伝えた。二人とも、その時の会見はさぼって出席してなかったと思う。その内の一人が鈴木記者であることはいうまでもない。
「税関長がこんな話をしているが、われわれで掘ってみないか」
二人は面白がって早速、税関長に改めてインタビューをとったり、当時の摩文仁の戦闘状況を調べたり、大量に発見された遺骨の情報を集めるなど下準備をはじめた。
また、税関長の記憶はすばらしく、場所を特定するところまできたのである。この間、税関長の経歴を調べるうちに、ひょっとしたら陸軍中野学校出身(=日本のスパイ養成所)、という未確認情報が出てきたわけだが、本人からの確認はとっていないと思う。
かなりの精度で税関長の話の通りなら、遺骨が出そうであるということになった。
ただし、この間の取材は2人がもっぱらやり、わたしは締切をとっくに過ぎた昭文社の「マップルガイド沖縄」というガイドブックを仕上げなければならないという、別の仕事に追われていた。(ちなみにこのガイドブックは20数版を重ねるベストセラーになった。いまは絶版)
で、わたしは時間が空いたときに、いつでも堀りに行けるようにと、会社にツルハシを常備していたのだが、どういういきさつか忘れたが、鈴木記者がそのツルハシを社まで持ってきてくれ(わたしが持っていってやると押し込んだかも知れない)、というので担いで編集局に乗り込んだのである。いまと違い、新聞社の編集局というのは無防備で、わたしは編集局のど真ん中で、まずいことをしている可能性があるなと思ったのだが、誰も止めなかった。
こうして、ツルハシを編集局に持っていったのであるが、なぜ、そうしたのか、ほとんど記憶にないのである。そうする必然性もなかったかも知れない。(実際にこのツルハシの出番はなかった)
鈴木記者がこれを車に常備して、土曜日か日曜日、掘るときには一緒に掘ろうということだったかも知れない。
しかし、TV記者の方がもっと上手で、建設会社からユンボをかり出すことに成功し、譜久原税関長立合の元、TVカメラを入れて、実際に掘ったのである。
不思議なことにこの時もわたしは確か南大東島に取材に出かけており、現場に立ち会えなかったのである。
発掘現場周辺はまだ、不発弾が残っているということもあり、ユンボが岩を削ると削り粉が舞って白い煙が立つのであるが、いつ不発弾にあたるか分からない。カメラマンも命がけで撮影していたのである。
結果、遺骨は出なかった。
鈴木記者は会社にそう報告したら、先輩記者から
「一体もなー!」
といわれたそうである。
TV番組では遺骨が出なかったという特番を造り、鈴木記者は特番を出し抜くわけには行かないと、タイミングを見て「遺骨は出なかった」という大きな記事を書いたわけである。
この発掘は誰か発掘の主体がいて、それをメディアが取材するというものではなく、記者の発案で事を進めた点、特殊な取材ではある。(最近ははこういう取材はあるのだろうか)
徳川の埋蔵金が出なかったという話しによく似ているわけであるが…
ツルハシ事件といわれるものの全体像はこのようなものであるから、ほんとうは「遺骨は出なかった事件」の方が正しい。しかし、これがツルハシ事件として印象に残っているのであれば、わたしが知らないところでツルハシの一件が話題になっていたのだろうと思う。
23、4年前になるが、沖縄地区税関に名物税関長、譜久原さんがいた(故人)。
譜久原さんは陸軍中野学校の出身者らしいといううわさがあり、記者懇談会(沖縄地区の輸出入統計、ときどき白い粉の事件)で沖縄戦の模様も披露していた。その中で本人の目撃談として、米軍が摩文仁に50m四方の巨大なプールを堀り、転がっている死体をブルドーザーで投げ入れ、土をかぶせた。が、戦後これが発掘されたというニュースを聞かない…、という。
この話は、先輩記者らは何度も聞いているらしく、またかという顔をしていたのだが、駆け出しのわたしは大ニュースだと思って、ときどき税関で顔を合わせており、よく酒も飲んでいた日刊紙記者とTV記者に伝えた。二人とも、その時の会見はさぼって出席してなかったと思う。その内の一人が鈴木記者であることはいうまでもない。
「税関長がこんな話をしているが、われわれで掘ってみないか」
二人は面白がって早速、税関長に改めてインタビューをとったり、当時の摩文仁の戦闘状況を調べたり、大量に発見された遺骨の情報を集めるなど下準備をはじめた。
また、税関長の記憶はすばらしく、場所を特定するところまできたのである。この間、税関長の経歴を調べるうちに、ひょっとしたら陸軍中野学校出身(=日本のスパイ養成所)、という未確認情報が出てきたわけだが、本人からの確認はとっていないと思う。
かなりの精度で税関長の話の通りなら、遺骨が出そうであるということになった。
ただし、この間の取材は2人がもっぱらやり、わたしは締切をとっくに過ぎた昭文社の「マップルガイド沖縄」というガイドブックを仕上げなければならないという、別の仕事に追われていた。(ちなみにこのガイドブックは20数版を重ねるベストセラーになった。いまは絶版)
で、わたしは時間が空いたときに、いつでも堀りに行けるようにと、会社にツルハシを常備していたのだが、どういういきさつか忘れたが、鈴木記者がそのツルハシを社まで持ってきてくれ(わたしが持っていってやると押し込んだかも知れない)、というので担いで編集局に乗り込んだのである。いまと違い、新聞社の編集局というのは無防備で、わたしは編集局のど真ん中で、まずいことをしている可能性があるなと思ったのだが、誰も止めなかった。
こうして、ツルハシを編集局に持っていったのであるが、なぜ、そうしたのか、ほとんど記憶にないのである。そうする必然性もなかったかも知れない。(実際にこのツルハシの出番はなかった)
鈴木記者がこれを車に常備して、土曜日か日曜日、掘るときには一緒に掘ろうということだったかも知れない。
しかし、TV記者の方がもっと上手で、建設会社からユンボをかり出すことに成功し、譜久原税関長立合の元、TVカメラを入れて、実際に掘ったのである。
不思議なことにこの時もわたしは確か南大東島に取材に出かけており、現場に立ち会えなかったのである。
発掘現場周辺はまだ、不発弾が残っているということもあり、ユンボが岩を削ると削り粉が舞って白い煙が立つのであるが、いつ不発弾にあたるか分からない。カメラマンも命がけで撮影していたのである。
結果、遺骨は出なかった。
鈴木記者は会社にそう報告したら、先輩記者から
「一体もなー!」
といわれたそうである。
TV番組では遺骨が出なかったという特番を造り、鈴木記者は特番を出し抜くわけには行かないと、タイミングを見て「遺骨は出なかった」という大きな記事を書いたわけである。
この発掘は誰か発掘の主体がいて、それをメディアが取材するというものではなく、記者の発案で事を進めた点、特殊な取材ではある。(最近ははこういう取材はあるのだろうか)
徳川の埋蔵金が出なかったという話しによく似ているわけであるが…
ツルハシ事件といわれるものの全体像はこのようなものであるから、ほんとうは「遺骨は出なかった事件」の方が正しい。しかし、これがツルハシ事件として印象に残っているのであれば、わたしが知らないところでツルハシの一件が話題になっていたのだろうと思う。
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