おかしな道州制議論

渡久地明

2007年12月09日 15:47

 今朝の琉球新報、

 「もし道州制が真の分権改革であるならば(略)府県や市町村から道州制を求める声が挙がっているはずだが、そのような状況はない。
(略)道州制は国の財政改革が主目的だからである。(略)分権改革という錦の御旗の下で、国は地方での交付金・補助金を大幅に削減することをも狙っている」(琉球新報12月8日付け、日曜評論「道州制は真の分権改革か」佐藤学氏(沖縄国際大学教授))

 は面白い指摘だ。

 わたしも前から上のような狙いがあるのではないかと道州制の議論を漠然と見てきたが、なるほどこうハッキリ問題点が指摘されると、あとは簡単だ。
 
 いまの道州制の考えの前提に財政至上主義があり、おまけにアメリカ型の市場原理主義も入っているのなら最悪である。人間の顔が全くみえない議論になっている。これに基づく道州制にはわたしも全く反対である。
 
 道州制に関しては、居酒屋談義でも話題になるが、沖縄の場合、単独州では財源が不安である。しかし財源には尖閣列島の地下資源を回せ、といったことで盛り上がる。米軍基地は土地代を取るのではなく、安全保障料として県民全てに金を回せ、というふうに発展する(賛成だが)。
 
 また、ひも付きの補助金200億円よりも、自由に使える100億円の方が価値があるという論も展開されることがあるが、これも納得できない。200億円が100億円になったら、どんな工夫をしようと経済規模はその分、縮小するのであり、それに伴うマイナスの波及効果はだいたい1・8倍になる。失業が増え、さらに所得格差が拡大する。
 
 道州制の精神論については沖縄県民の独立心をくすぐるものであり、理解できる面もあるが、財政政策についてはあまり詰められていないと思う。また、分権が欲しければ豊かな財政と分権の両方を求めれば良いところを、何で政府が失敗した財政政策のケツを拭いてやってまで分権して間違った国の財政政策に協力し、地方がますます痛む方向に荷担したいのだろうか。そうではなく、財政至上主義、市場原理主義、おかしな構造改革を進める政治を改めるのが先ではないのか。
 
 単独州になる場合の沖縄経済への影響については、かなり精密に計算ができる。優秀なパソコンソフトも出回っているようなので、沖縄単独州成立のための条件をみんなで計算して見るというのもいいと思う。
 
 このような計算機シミュレーションは日本経済全体について実際にいくつも行われている。政府そのものも実は政府支出を減らしたら、景気が悪化することを大型コンピュータを使ったシミュレーションでちゃんと知っている。それにも係わらず、おかしな構造改革を推進したのは狂気というほかない。また、それを多くの国民が選挙などで後押ししたのだった。マスコミの論調もオカルトという他はない。このことは、もはや常識になってきている。
 
 今日の日曜評論のようなものを、日本のあり方の入口にすべきだ。答はいま議論されているような道州制ではないと気がつくと思う。

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