都市にカネが集まるから、地方で公共投資が正解だろう

渡久地明

2005年09月18日 21:02

資本主義はその制度に不況を内在するが、公共投資や累進課税で解決できるのだった。これが経済学の教科書のおおざっぱな結論だ。

で、不況とは資本家がどんどんカネをため、生産過剰となり、貧しいものはもっと貧しくなることだった。(マルサスの一般的過剰生産説)

これはいま日本で顕著だ。個人金融資産が1400兆円を超え、大企業を中心に業績が回復してきているというのは、景気回復ではなく一層の不況に向かっているということだ。中小零細企業はますます厳しくなると予想される。これは企業や個人の自己責任ではない。制度の問題だ。創造的破壊は一挙には起こらず、これまでの実証研究では不況下では成功した中小企業を大企業が買収するか、新しい成長分野を独占することが分かっている。大企業はそれによってさらに伸び、中小零細企業は一層の不況にまっしぐらというわけだ。

また、日本が過剰生産の状態になっていることを、丹羽春喜教授(http://www.niwa-haruki.jp/)はデフレギャップとして計算し、300〜400兆円分の設備が余っているとしている。現在500億円のGDPは少なすぎ、800〜900兆円に達しているべきだとしている。

このことは失業者の数からも大ざっぱに計算できる。全国の失業者300万人(真の失業率は600万人という推計もある。http://bewaad.com/20050730.html#p01)に、年間売上1000万円の仕事を与えると、300兆円になる。つまり、せっかく300兆円を稼ぎ出す国民がいるのにこれを使っていない。これこそが無駄の極致である。もったいない。この程度の生産能力が日本では毎年無駄に捨てられているのだ。

生産能力が余っている状態。だから政府が需要をつくらなければならないということも教科書通りである。

地方対都市の格差も教科書通りに表れているだけだろう。貧富の差が拡大するというのは高所得者が全国にまんべんなくいて、それを取り巻いて低所得者が全国にまんべんなくいるという状態だろうか。

そうではなく都市に高所得者が集まり、地方には低所得者が取り残されているだけということだろう。全国の低所得者は都市に集中している高所得者にどんどん吸い取られている。だから、地方での公共投資なのだ。地方に投資されたカネは地方で消費されるが、商品の多くを大都市の企業が供給しているなら、結局カネは大都市に戻っていく。沖縄の場合、食べ物、自動車、電気製品、文房具に至るまでほとんど県外で生産されたものを購入しているわけだから、沖縄での公共投資はかなりの割合が(どの程度か計算する必要があるが)、長期的には大企業に戻る。(だから、沖縄に製造業を興す政策や県産品愛用運動は正解である。それによって、地方にもカネが徐々にたまっていく。)

これは沖縄で大がかりな公共投資をすれば、日本経済全体に効率よく還元されるということをも意味する。他の地方も同じだろう。地方で公共投資をする理由はこれである。

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