てぃーだブログ › 渡久地明の時事解説 › 琉球の風(区別不能の原稿) › 身近な日本最古の山下町洞人

2007年06月09日

身近な日本最古の山下町洞人

今日の琉球新報・沖縄タイムス朝刊1面トップに

山下町洞人は国内最古の「新人」

という記事が出ている。

山下町洞人が見つかったのはわたしの事務所から歩いて10分ほどの洞窟で、洞窟の入口は私有地になっているようだが、道路に面して水が滴り、聖地となっている。わたしは30年くらい前からこの付近は活動範囲というか、通勤・通学途中だったり、ガキの頃は国際通に遊びに行くときの通り道なので、親しみがある。いまでも線香が置かれたり、拝んでいる人がいるところだ。

その洞窟から石器が出たり、人骨が出ていた。3万年前の石器や人骨である、と前から知られていたが、長年にわたって正当な評価が与えられていなかったという。

新聞記事では情報量が少ないが、小田静夫先生が詳しい解説「山下町第1洞穴出土の旧石器について」を書いている。

http://www.ao.jpn.org/kuroshio/yamashitacho/200306.htm

そのまとめの部分で

===============

(2)琉球列島旧石器文化の特質

 山下町第1洞穴出土の3点の「旧石器」は、この琉球列島を含めた日本の旧石器文化の中でどのような位置づけが可能であろうか。

 周知のごとく、日本列島へのヒトの渡来ルートは北方コースと南方コースが想定されている。現在、確かな列島最古の旧石器文化はホモ・サピエンス(新人)段階の遺跡で、年代的にして約4万〜3万年前である。そして、この山下町第1洞穴の年代は約3万2,000年前頃であり、列島最古の旧石器文化の一員であると共に、唯一、旧石器(第III〜V層)と更新世化石人骨(第VI層)とが共伴した可能性がある「最重要遺跡」と位置づけることもできるのである。
 
===============

と述べている。今日の新聞記事では石器についての言及がないが、石器が一緒に出ているところが重要だ。というのも、骨だけだとどこかで行き倒れになった人が、動物に運ばれたり、海から打ち上げられた可能性が残るのに対し、石器が一緒に出てくるとその周辺に住んで、生活していたという証拠になるからだ。

わたしなどは人骨が出たら、そこに人が住んでいて、沖縄人の祖先に違いないとすぐに思いこむタイプだが、学者の世界では一緒に石器も出ていないと現代の沖縄人とは無関係あるいはどのような関係があるか分からない、という夢のない表現になる。

小田静夫先生は例の毎日新聞がスクープした2000年11月5日「旧石器遺跡捏造事件」を早くから予言しており(その予言が正しかったわけだが。またどうしてインチキだと判定せざるを得ないのかの学術的な評価も先ほど紹介したサイトに出ている)、おかげで主流をなしていた研究者の世界から閉め出され、沖縄に住んでいたことがあった。予言が正しかったことが分かって再評価され、不動の地位に立たれたわけだが、読山原フィッシャー(武村石材建設の現場=武村茂社長が跡利用について研究中)の学術調査を見に行ったら、気さくな人で、わたしにこんなことを言っていた。

沖縄に最初の人類が上陸し、次に日本列島にわたって日本人が出来た。

(その前に日本には誰が住んでいたんですか)

誰もいなかった。北回りの人たちが北海道から南下して、沖縄から北上した人たちと出会うのがいまの新宿あたりで、それでNHKの番組をつくったことがあるよ。

だから日本で一番古い人骨や石器が出るとすれば沖縄から出てくる可能性が高い。そんなのを見つけたら宝物にして金庫の中に大切に仕舞って誰にも見せないよ。

(へ、誰にも見せないんですか)

見せないのが常識。やたらと見せてはいけない。研究を潰しに来る人もいるんだよ。

ということだった。

山下町洞人の石器も金庫の中に仕舞われていて、やたらと人に見せないようになっているのかも知れない。小田静夫先生だからこそ、沖縄の研究者も現物をオープンにしたのだろうと思う。その結果、これまでの沖縄の研究が正統なものであると小田静夫先生が権威づけたわけで、これまであまり評価されなかった(失礼)という無念を晴らした結果になっている。

今日の新聞記事は県立博物館、東大、国立科学博物館の共同研究で、さらにその評価を固めたものということが出来るのではないか。



同じカテゴリー(琉球の風(区別不能の原稿))の記事
ヒューマンデバイド
ヒューマンデバイド(2023-07-01 04:12)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。