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2008年04月01日

ねんきん特別便

2週間くらい前にねんきん特別便が届いた。3月中に届く分は間違いがある可能性が高いというものだったが、間違いがあった。

というか、わたしは会社を変わったことはないが、引っ越しをしたことがあり、いまのウチの前のウチからの記録はあったが、その前がなかった。

訂正ありという返事を出したけど、わたしが覚えている間に、訂正したという返事は来るんだろうか。

森永卓郎さんがコラムで念のため社会保険事務所に出向いたら、記録がもれていた、会社を変わったからだった、といっていたが、会社が変わってなくても引っ越してたら漏れるのね。

年金といえば、沖縄県は制度が始まったこと自体が、日本より遅く、貧しい時代が長くつづいたので無年金という人が多い。

わたしの父(渡久地政夫)は復帰前に琉球新報という新聞社を立て直すために福岡の新聞社から引き抜かれて沖縄に舞い戻った。

当時の琉球新報は倒産直前、ストで新聞自体が発行できない状態になるような会社だった。有名なストがあり、その前に会社を辞めて自分でいくつもの新聞を出したが、その後、年金を払った記憶がないので、無年金だと信じていた。

ところが、65歳を過ぎたあたりに社会保険事務所の人が調べ上げて、沖縄に帰ってくる前に、福岡の西日本新聞社が「夕刊フクニチ」の記者時代に厚生年金を支払っていたという記録を見つけ、申請をすすめた。

おかげで、晩年の10年近く、毎月8万円前後の給付があり、大いに助かった。(ちなみに琉球新報という会社は給料はわずかで、年金も仕払っていなかった。給料をくれといったら株券(当時は紙切れで、だれも欲しがらなかった)があるのでそれをとっておけという会社だった。いらんとことわったわけだが。いま60代以上の先輩だと、給料の代わりに現物支給された新聞を道端で売って10センとか25センのカネにしたわけだが、その日のウチに飲んでしまったという連中がいっぱいいる(新聞記者が道端で新聞売りをしたという話は15年くらい前に名物政治記者だった新里英之先輩に聞いた)。

そんな時代に社会部長をつとめた先輩記者が亡くなったときには琉球新報という新聞は「社会部長をやったという記録がない」とわたしにいったものだ。死亡記事を書く本人だけ知らなくて、先輩記者なら誰でも知っていることをなかったこととして、味気ない死亡記事を出した(沖縄タイムスはまともだった)。ひょっとして琉球新報には社員だったという記録もないんでないの。後輩(いまの社長たち)に聞けばすぐ分かるのに)

はなしはそれたが、年金をネタにいまの新聞記者は…、という話がしたかったのである。



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Posted by 渡久地明 at 23:27│Comments(0)マスコミ評論
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