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2011年03月08日

メア前沖縄総領事とその前の総領事

米国務省のメア日本部長(前沖縄総領事)が「沖縄はゆすりの名人」と述べた。詳細は新聞報道にゆずるが、わたし自身の経験を述べて参考になる人がいたら使ってほしい。

1999年暮れ、米国の基地閉鎖プログラムと基地後利用について、若手の8人でワシントン、サンフランシスコを取材旅行した。このとき後に国務副長官となったアーミテージ氏にインタビューした話について、何度かこのコラムでも紹介したことがある。

その際、米国務省はかなり一生懸命に我々の世話をしたし、実際、アメリカ国内の移動費、宿泊費、同時通訳までお世話になった。初日のガイダンスで「皆さんが知りたいことは個人の立場で何でも聞いてください」となかなか気持ちのよいことをいわれた。で、こちらとしても知りたいことを何でも聞いてきたつもりだ。

帰国後、8人全員に国務省インターナショナル・ビジター・プログラムのディプロマ(卒業証明)を発行した。米大使館でもディプロマを発効する制度があったことをもう誰も覚えていないくらい珍しいことという話だった。それを手渡したいので「昼飯を食おう」という誘いが当時の総領事からあった。

で、宜野湾市の穴場のようなレストランで飯を食いながらいろいろな雑談をした。「わたしは外交のプロではないんですよ」というようなことを言う。

「職業外交官だとなかなか地域にとけ込めないという批判が起こり、国務省は普通のアメリカ人を外交官として中途採用しており、わたしもそれに応募して総領事になった」

なかなか気さくな人だと思った。受け取りようによってはかなり心もとない感じもするのだが、ハートを通わせようとしていることはわかった。その後、メアさんが登場する訳だ。確かに彼は沖縄の常識とは異なることを発言して、たびたび新聞紙上で批判されていた。腹を立てた人から喫茶店でコーヒーをぶっかけられたこともある。

わたしはやはり素人じゃ無理なのかなと思っていたが、メアは元々国務省採用の生え抜きだということが後でわかった。ブッシュが政策転換したのだろうか。

職業外交官では無理だという経験が、メア以後、沖縄では通用しなくなった。それとも沖縄だけは生え抜きの外交官に任せるべきだということになったのだろうか。その場合はメアは国務省タカ派の考えを体現していたと見ることができる。それが裏目に出たのが今の問題だと思う。

そのディプロマは、紙一枚であるが、今でも事務所の壁に押しピンで貼ってある。



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Posted by 渡久地明 at 22:28│Comments(0)返還基地の跡利用
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