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2005年04月18日

辺野古は最初から無理だった

以下は吉元政矩氏が主催するシンクタンク沖縄21戦略フォーラムのメールマガジン「天妃ドットコム・メールマガジン」(3月18日発行)に寄稿したわたしの文章である。吉元氏は90年代初頭に米軍基地の2015年までの完全な撤退を予想していた。米軍基地返還後の沖縄の再開発のアイデアコンペなどをすでに実施していた。吉元氏が副知事を辞めてから、何度か氏を囲んで酒を飲み、どのような思考回路で90年代初頭に今日を予測できたのかその片鱗に触れようとわたしは試みていた。膨大な情報を縦横に駆使して将来を見通しておられるように感じた。
 それとは別に、基地問題についてのわたしの考えは、(1)「日米安全保障同盟への提言」(リチャード・L・アーミテージ共同議長、ハロルド・ブラウン共同議長、97年)を徹底的に読み込むことから出発して、(2)実際にアーミテージに会ってディスカッションした内容とその時の感触(99年暮れ)、(3)アーミテージレポート(00年10月)、(4)軍事アナリストの神浦元彰氏とのメールのやり取りとその後の沖縄での講演会(02年9月)で組み立てられている。特にアーミテージ氏のわたしのインタビューでの「沖縄基地に長居はしない。アジアが安定したら出ていく」という発言は重要で、その意味をわたしに教えたのは神浦氏である。
 基地問題についてわたしの発言はいくつもあるが、下はその中で最も短く、コンパクトにまとまっているので再掲する。修正はしていない。最近になって辺野古はもうできないとする県幹部の発言があるが、最初から無理だったのだ。いま、この通りにコトは進んでいると思う。

●●辺野古はやめろという小泉首相…渡久地明●●

 米軍のトランスフォーメーションに伴う沖縄基地削減の動きが急に見える。
しかし、それらは随分前から予想されたことであり、いまはそれが実現する
手前の状態だといえよう。政府は6月に辺野古断念を発表するという、うわ
さを3月はじめに筆者も聞いていたが、6月を待たずに小泉首相が「辺野古
は無理なんだろ、やめろやめろ」といったというニュースがでている。

 この間の流れは、北朝鮮に戦闘能力も脅威もないことを米は見通して、南
北の国境から撤退。崩壊後の北朝鮮再開発に向けてワールドカップサッカー
や韓流なる奇怪なブームを起こして、日韓が協力して資金を出し合える環境
を整えている、と読むべきだ。

 中国と台湾の衝突が話題に上るが、沖縄にいたら中台の交流がどれほど活
発か知っている。台湾の修学旅行生は中国の奥深くまで入っているし、中国
の経済発展は台湾資本なくしてはあり得ないことが身近に分かる。互いに衝
突するぞと言っていれば、それぞれ軍需産業を拡大したり、国際的な発言力
を増すことができるなどプラスがあるのだ。それを利用して米も軍隊を維持
することができる。

 中台危機はこのように使われる。

 日本も憲法改正や米のミサイル防衛への資金協力など、この状況を使って
いる。沖縄からの米軍撤退は県民の負担を軽減するためと大義名分が立てら
れるが、実際には有事法制などで米軍が日本中の飛行場を有事の際に使える
ようになったり、自衛隊が米軍と共に行動することが「想定」できるように
なったりしているから、不要になったのだ。

こうして沖縄は日本の米追従策に利用されているのに、辺野古断念や普天
間返還を歓迎する様子から沖縄もそれに乗っているように見えるところに不
審を抱かれるスキがある。

 しかし、これから返還軍用地の再開発を大がかりに行う必要がある。その
ため、またまた沖縄ブームを造らなければならない…。つくづく沖縄という
ところは面白いことが計画できる地域であると思う。


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Posted by 渡久地明 at 18:20│Comments(0)返還基地の跡利用
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