2005年12月13日
泡瀬の核シェルター
辺野古の核シェルターの話を前に書いたが、泡瀬の核シェルターを探検したという人がいた。
防空壕かも知れないが、本人は核シェルターだといっている。
泡瀬の自動車ホテル街は元は高級将校の住宅地だったそうで、丘の土手っ腹に穴を掘ってある。
広さは沖縄公庫調査課の部屋の半分くらい。
頑丈な出来だが、床はじめじめしていた。
将校達がポケットマネーで造ったものではなく、米軍の正式な仕事だろうという。核戦争を含む朝鮮有事の際には韓国要人を沖縄のこのような核シェルターに避難させる計画もあったという話で、大規模な核シェルターが他にもあるというわたしの話に対して、ありそうだ、という反応だ。
別の話のついでだったので詳細は聞かなかったが、今度、場所を聞いて見に行ってみようと思う。まだあるだろう、とのことである。
防空壕かも知れないが、本人は核シェルターだといっている。
泡瀬の自動車ホテル街は元は高級将校の住宅地だったそうで、丘の土手っ腹に穴を掘ってある。
広さは沖縄公庫調査課の部屋の半分くらい。
頑丈な出来だが、床はじめじめしていた。
将校達がポケットマネーで造ったものではなく、米軍の正式な仕事だろうという。核戦争を含む朝鮮有事の際には韓国要人を沖縄のこのような核シェルターに避難させる計画もあったという話で、大規模な核シェルターが他にもあるというわたしの話に対して、ありそうだ、という反応だ。
別の話のついでだったので詳細は聞かなかったが、今度、場所を聞いて見に行ってみようと思う。まだあるだろう、とのことである。
Posted by 渡久地明 at 00:00│Comments(0)
│返還基地の跡利用