2006年05月30日
小泉内閣の政策転換
植草一秀氏が小泉「縮小均衡」構造改革について、詳しく書いている。
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筆者は小泉政権が発足する1年ほど前に、小泉氏と中川秀直氏に対して1時間半ほどのレクチャーをしたことがあった。経済政策運営についての説明をするための会合だった。筆者と小泉氏、中川氏のほかには会合を企画した大手新聞社幹部の2名だけが出席した、5名限りのミーティングだった。
筆者は均衡のとれた安定的な経済成長路線を確保することが当面の最大の政策課題であり、財政収支改善は中期的に取り組むべきであることを主張した。しかし、小泉氏は筆者の説明の途中に割って入り、自説をとうとうと述べて筆者の説明をさえぎった。結局、1時間半の会合であったが、筆者は説明を完遂することを断念した。
小泉氏が主張した政策手法は「緊縮財政運営こそすべてに優先されるべき」とのものであった。当時の日本経済の水面下には巨大な不良債権問題が横たわっていた。この現実を重視せずに、緊縮財政路線を突き進めば、経済悪化、株価急落、金融不安増大、税収減少、財政赤字拡大の「魔の悪循環」のスパイラルに呑み込まれることは目に見えていた。
「失われた5年−小泉政権・負の総決算(2)」2006.05.10(http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/05/post_1c1f.html)
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その後、植草氏の予想どおりの経済の悪循環が実現したわけだ。このように予想したのは植草氏だけでなかったが、真っ向からこれに反対したのは竹中平蔵氏だったとエピソードをはさんでいる。
植草氏はまた、2003年のりそな銀行の破綻救済を契機に景気は回復していると述べている。しかしそれは構造改革の成果ではなく、破綻銀行に公的資金を入れるという政策転換によるものだ、という。
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小泉政権は、政権発足以来、緊縮財政と企業の破綻処理推進を経済政策の二本柱として位置づけていた。
(略)
ところが最後の最後で小泉政権は方針を全面転換した。大銀行は公的資金で救済されることになった。大銀行の破綻が公的資金投入で回避されるなら、金融恐慌は発生しない。株価は金融恐慌のリスクを織り込む形で暴落していたが、金融恐慌のリスクが消失するなら、その分は急反発する。
「失われた5年−小泉政権・負の総決算(3)」2006.05.26(http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/05/post_4ae7.html)
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銀行各社が好決算となったが、政策転換によって、株価が上がったため、不良債権が優良債権に変わったからに過ぎない。不良債権を優良債権に変えるには短期的には財政出動、金融緩和で景気を回復させ、株価も上げろと主張していた植草氏らは抵抗勢力として、文字通り排除されたわけだ。
最初から植草氏らの経済政策を展開していれば、この間の「景気の急激な悪化、株価、地価の暴落、企業の破綻…、戦後最悪の企業倒産、失業、自殺」はなかった。
そして、まともなことをいっていた人たちが「抵抗勢力」として次々に退場させられていった。ホントにバカな首相を国民は支持したものだ。
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筆者は小泉政権が発足する1年ほど前に、小泉氏と中川秀直氏に対して1時間半ほどのレクチャーをしたことがあった。経済政策運営についての説明をするための会合だった。筆者と小泉氏、中川氏のほかには会合を企画した大手新聞社幹部の2名だけが出席した、5名限りのミーティングだった。
筆者は均衡のとれた安定的な経済成長路線を確保することが当面の最大の政策課題であり、財政収支改善は中期的に取り組むべきであることを主張した。しかし、小泉氏は筆者の説明の途中に割って入り、自説をとうとうと述べて筆者の説明をさえぎった。結局、1時間半の会合であったが、筆者は説明を完遂することを断念した。
小泉氏が主張した政策手法は「緊縮財政運営こそすべてに優先されるべき」とのものであった。当時の日本経済の水面下には巨大な不良債権問題が横たわっていた。この現実を重視せずに、緊縮財政路線を突き進めば、経済悪化、株価急落、金融不安増大、税収減少、財政赤字拡大の「魔の悪循環」のスパイラルに呑み込まれることは目に見えていた。
「失われた5年−小泉政権・負の総決算(2)」2006.05.10(http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/05/post_1c1f.html)
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その後、植草氏の予想どおりの経済の悪循環が実現したわけだ。このように予想したのは植草氏だけでなかったが、真っ向からこれに反対したのは竹中平蔵氏だったとエピソードをはさんでいる。
植草氏はまた、2003年のりそな銀行の破綻救済を契機に景気は回復していると述べている。しかしそれは構造改革の成果ではなく、破綻銀行に公的資金を入れるという政策転換によるものだ、という。
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小泉政権は、政権発足以来、緊縮財政と企業の破綻処理推進を経済政策の二本柱として位置づけていた。
(略)
ところが最後の最後で小泉政権は方針を全面転換した。大銀行は公的資金で救済されることになった。大銀行の破綻が公的資金投入で回避されるなら、金融恐慌は発生しない。株価は金融恐慌のリスクを織り込む形で暴落していたが、金融恐慌のリスクが消失するなら、その分は急反発する。
「失われた5年−小泉政権・負の総決算(3)」2006.05.26(http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/05/post_4ae7.html)
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銀行各社が好決算となったが、政策転換によって、株価が上がったため、不良債権が優良債権に変わったからに過ぎない。不良債権を優良債権に変えるには短期的には財政出動、金融緩和で景気を回復させ、株価も上げろと主張していた植草氏らは抵抗勢力として、文字通り排除されたわけだ。
最初から植草氏らの経済政策を展開していれば、この間の「景気の急激な悪化、株価、地価の暴落、企業の破綻…、戦後最悪の企業倒産、失業、自殺」はなかった。
そして、まともなことをいっていた人たちが「抵抗勢力」として次々に退場させられていった。ホントにバカな首相を国民は支持したものだ。
Posted by 渡久地明 at 21:29│Comments(0)
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