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2010年11月22日

こんな沖縄に誰がした

 『こんな沖縄に誰がした』(大田昌秀著、同時代社、B6判、294ページ、1900円)を献本頂いた。急いで読みました。ありがとうございます。

こんな沖縄に誰がした



 沖縄の基地問題に関する本は基本的なものは理解していなければならないと思いながら、わたし自身、新聞記事やインターネットの記事を読む程度で、まとまったものは最近はあまり読んでいなかった。この本は琉球処分から始まり、日本敗戦、憲法制定の経緯、沖縄の米軍統治と返還、1960年代から始まっていた辺野古基地建設の経緯、知事在職中の政府との交渉、海兵隊のグアム移転計画の詳細と意味するものなど最新の論説が折り込まれている。
 
 わたしは沖縄の米軍基地は日本政府がアメリカに頼んで置いてもらっているのだろうと思っているが、それを実証的に示唆する記述もある。
 
 海兵隊が抑止力にはならないどころか、米国内部でも不要論があることは良く知られている。これらの主張を数多く本文で紹介している。
 
 海兵隊不要論をいうと「アメリカにはいろんな意見がある」と片づけて、しかし「○×という理由で必要である」とする日本の論者も多い(居酒屋談義も含めて)。素人は黙っておれといわんばかりだが、しかし、本書で取り上げられた研究者や軍の幹部に比べて、「おまえはなんなんだ。鼻くそか」といわざるを得ないような人たちのTVや雑誌での発言は痛ましい。
 
 大田さんは海兵隊が実は沖縄には要らないと主張する米側の証言をいくつも紹介した上でこうかいている。

 こうした海外の知識人の議論の積み重ねに反して、日本では歴代の総理大臣をはじめ政府高官や政治家、専門家たちの多くは、声高に日米軍事同盟の重要性だけに、言及するだけで、国土面積の〇・六%しかない狭小な沖縄に過重な基地を押し付けて憚らず、爆音や事件・事故など日常的に生命の危険に晒され、平穏な生活が破壊されている沖縄住民の犠牲には一顧だにしないのだ。基地から派生する犠牲が自分たちの家族にでも及ばないかぎり痛くも痒くもないというのだろうか。こういう人々に国益を論ずる資格があろうとは到底思えない。
 それ以前に、一体、沖縄はアメリカの領土、もしくは占領地なのか、果して沖縄は日本という主権国家の一部と言えるのか。日本にとって沖縄とは何なのかが問われることもなしに、半世紀以上が経った。日米同盟を至上命題に掲げ国民の一部を平然と犠牲にして顧みない国とは一体、何なのか。誰しもが疑問に思うことである。自らは安全な場所にいながら、新たな基地の建設を受け入れようとしない沖縄を・安保を損ない日米同盟を弱めると批判して止まない無神経な人びとは、まず自らの庭先に基地を引き受けた上で発言すべきではないか。自らはいかなる意味でも傷つかないまま、他人の痛みに一切、配慮することもなく、安保、安保、国益大事と叫び続ける人の感性と人間性を疑わざるを得ない。このような発想、態度で、いくら口先で「東アジア共同体」の確立をうんぬんしたところで、近隣諸国民から信用される筈もなかろう。(192〜193ページ)

 こういうことが沖縄からはよく見える。それには、やはり本書にある明治維新と沖縄から話しをはじめる他はないだろう。琉球処分で沖縄を差別的に取り扱った歴史が示され、それが第二次世界大戦とそれに続く米軍の沖縄支配、復帰後の沖縄の取扱に一貫していることが改めて分かる。
 
 結局、沖縄問題=日本問題であり、これを解決すること、その経験を活用することで日本自身が世界から尊敬される国になるだろうということも分かる。簡単な問題だと思う。



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