2005年05月22日
観光・基地・積極財政
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本日の新報・タイムスは米軍普天間基地のヘリ部隊を嘉手納に統合し、空中給油機は岩国(山口県)に、P3C哨戒機は鹿屋(鹿児島県)に移す案で米と最終調整に入る、というものだ。
関連して自民党沖縄県連に招かれて講演した山崎拓氏が普天間移設「必ず前進」と明言した記事である。
沖縄の負担を減らすという政府の取り組みが強調されている。
普天間基地問題はいろんなところで書いたが、基本的には沖縄の負担軽減というのは表向きの理由で、本当は沖縄基地の役割が終わりつつあると云うところだ。役割が終わって米が撤退するのだが、タダで撤退するよりも「沖縄県民の負担を減らす」とでも言っておく方が何かと便利なだけである。
役割が終わったらとは何か。「沖縄基地に長居はしない。アジアが安定したら出ていく」と1999年暮れ、わたしのインタビューに対してアーミテージ氏が応じたのがヒントになる。
この時、アジアの安定とは朝鮮半島、台湾海峡、中東まで含めたアジアかと思い、道のりは長いのか短いのか図りかね、それでも「長居をしない」という部分に期待していた(99年12月、インタビューは下)。
http://www.sokuhou.co.jp/backno/560.html#t1
しかし、ほぼ一年後、そのインタビューをインターネットで見つけた軍事ジャーナリストの href="http://www.kamiura.com/index.html#MENU">神浦元彰さんが「アジアの安定とは北朝鮮の崩壊のことであり、沖縄基地の返還が近いということだ。この発言を引き出した渡久地記者はすごい」と自身のホームページで絶賛。わたしは「ありがとう」というメールを送ったが、それからメル友になったのだった。
その後、神浦氏が沖縄でOFF会を開催して沖縄基地がなくなるという根拠を明快に解説してから、この問題の理解はさらに深まった。
その時のOFF会でパネルを開き、神浦、吉元政矩(元副知事)、下地幹郎(衆議院議員)、わたしが司会し、吉元氏が「普天間は岩国に移すべき」、下地氏は「嘉手納統合が早い」と述べ、神浦氏は「両方あり得る」と述べたのだった(02年9月28日、詳細は下)。
http://www.sokuhou.co.jp/backno/621.html
今日の新報・タイムスの記事は、この時の吉元氏と下地氏の案の足し算そのものといえる。しかし、グアムやハワイの強化がすでに行われており、全体像はこの通りではないことが後に分かるであろう。
わたしは観光専門の記者であるが、この分野の取材を深めると自然に米軍基地の問題にぶち当たるのだった。最初は観光名所として基地を使うと云ったものから、開発の邪魔ではないかと漠然と考えていた。
しかし、大田昌秀知事が普天間基地返還を強く求め、しかも、その理論構成が全く科学的にできていることを知ると、アメリカの考えと同じなのかどうか確かめたくなり、適当なプロジェクトに参加してその中でアーミテージとの面会を組み込むことに成功したのだった。
アーミテージの影響力は大きい。例えば、「 href="http://www.foreignaffairsj.co.jp/cfr/anpo.html">有事の試練と平時の緊張」(今日見たらリンク切れになっている)という論文は当時の橋本政権、小渕政権で踏襲されている。日米安保のガイドラインはこの通りに決着していく。
上の論文に書かれていることと、沖縄側の基地返還の理屈は矛盾しない。さらに、00年10月の href="http://www.sys-tems.co.jp/nexus/attntion/arm_0010.htm">アーミテージレポートではもう一歩踏み込んで「SACOより踏み込んだ沖縄基地の削減」が提案されている。残念ながらこのアーミテージレポートは経済についてとんでもないことが書かれており、軍事も経済も丸ごと踏襲している小泉内閣の経済政策はめちゃくちゃなのである。
しかし、理由は色々あるが、普天間返還は目前に迫った。返還で490ヘクタールが空くと、これを丸ごと活用するアイデアが求められる。当然、リゾートが入ってくるだろう。沖縄観光の供給力は飛躍的に高まることになる。
こうして観光と基地がつながる。
次は、普天間の再開発で、最高の効率を求める番だ。一気に失業の解消やその後の持続的産業の発展まで持っていくような計画が求められる。この再開発は少ない予算で何とかしろというものであってはならない。沖縄全体のデザインを考えるべきだ。
ここで大がかりな積極財政が必要になるという理屈だ。
わたしの頭のなかでは観光・基地・積極財政はこういうつながり方をしている。
本日の新報・タイムスは米軍普天間基地のヘリ部隊を嘉手納に統合し、空中給油機は岩国(山口県)に、P3C哨戒機は鹿屋(鹿児島県)に移す案で米と最終調整に入る、というものだ。
関連して自民党沖縄県連に招かれて講演した山崎拓氏が普天間移設「必ず前進」と明言した記事である。
沖縄の負担を減らすという政府の取り組みが強調されている。
普天間基地問題はいろんなところで書いたが、基本的には沖縄の負担軽減というのは表向きの理由で、本当は沖縄基地の役割が終わりつつあると云うところだ。役割が終わって米が撤退するのだが、タダで撤退するよりも「沖縄県民の負担を減らす」とでも言っておく方が何かと便利なだけである。
役割が終わったらとは何か。「沖縄基地に長居はしない。アジアが安定したら出ていく」と1999年暮れ、わたしのインタビューに対してアーミテージ氏が応じたのがヒントになる。
この時、アジアの安定とは朝鮮半島、台湾海峡、中東まで含めたアジアかと思い、道のりは長いのか短いのか図りかね、それでも「長居をしない」という部分に期待していた(99年12月、インタビューは下)。
http://www.sokuhou.co.jp/backno/560.html#t1
しかし、ほぼ一年後、そのインタビューをインターネットで見つけた軍事ジャーナリストの href="http://www.kamiura.com/index.html#MENU">神浦元彰さんが「アジアの安定とは北朝鮮の崩壊のことであり、沖縄基地の返還が近いということだ。この発言を引き出した渡久地記者はすごい」と自身のホームページで絶賛。わたしは「ありがとう」というメールを送ったが、それからメル友になったのだった。
その後、神浦氏が沖縄でOFF会を開催して沖縄基地がなくなるという根拠を明快に解説してから、この問題の理解はさらに深まった。
その時のOFF会でパネルを開き、神浦、吉元政矩(元副知事)、下地幹郎(衆議院議員)、わたしが司会し、吉元氏が「普天間は岩国に移すべき」、下地氏は「嘉手納統合が早い」と述べ、神浦氏は「両方あり得る」と述べたのだった(02年9月28日、詳細は下)。
http://www.sokuhou.co.jp/backno/621.html
今日の新報・タイムスの記事は、この時の吉元氏と下地氏の案の足し算そのものといえる。しかし、グアムやハワイの強化がすでに行われており、全体像はこの通りではないことが後に分かるであろう。
わたしは観光専門の記者であるが、この分野の取材を深めると自然に米軍基地の問題にぶち当たるのだった。最初は観光名所として基地を使うと云ったものから、開発の邪魔ではないかと漠然と考えていた。
しかし、大田昌秀知事が普天間基地返還を強く求め、しかも、その理論構成が全く科学的にできていることを知ると、アメリカの考えと同じなのかどうか確かめたくなり、適当なプロジェクトに参加してその中でアーミテージとの面会を組み込むことに成功したのだった。
アーミテージの影響力は大きい。例えば、「 href="http://www.foreignaffairsj.co.jp/cfr/anpo.html">有事の試練と平時の緊張」(今日見たらリンク切れになっている)という論文は当時の橋本政権、小渕政権で踏襲されている。日米安保のガイドラインはこの通りに決着していく。
上の論文に書かれていることと、沖縄側の基地返還の理屈は矛盾しない。さらに、00年10月の href="http://www.sys-tems.co.jp/nexus/attntion/arm_0010.htm">アーミテージレポートではもう一歩踏み込んで「SACOより踏み込んだ沖縄基地の削減」が提案されている。残念ながらこのアーミテージレポートは経済についてとんでもないことが書かれており、軍事も経済も丸ごと踏襲している小泉内閣の経済政策はめちゃくちゃなのである。
しかし、理由は色々あるが、普天間返還は目前に迫った。返還で490ヘクタールが空くと、これを丸ごと活用するアイデアが求められる。当然、リゾートが入ってくるだろう。沖縄観光の供給力は飛躍的に高まることになる。
こうして観光と基地がつながる。
次は、普天間の再開発で、最高の効率を求める番だ。一気に失業の解消やその後の持続的産業の発展まで持っていくような計画が求められる。この再開発は少ない予算で何とかしろというものであってはならない。沖縄全体のデザインを考えるべきだ。
ここで大がかりな積極財政が必要になるという理屈だ。
わたしの頭のなかでは観光・基地・積極財政はこういうつながり方をしている。
Posted by 渡久地明 at 11:39│Comments(0)
│返還基地の跡利用