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2006年06月25日

なんでサンプロは竹中平蔵を持ち上げるのか

本日のサンデープロジェクト、番組全体で竹中平蔵のオベンチャラ放送で、見るに耐えない。

口直しに、まともなエコノミストの発言を見る。植草一秀氏へのインタビューで04年2月27日に作成されたものだが、90年代からの不況の様子をよく説明している。

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(前略)

<過去の財政政策について>

【飯尾】:株価が生産水準を追いかけるのではなくて、株価の方が早いわけですか。

【植草】:そうです。先行指標です。そのような現象が現実に観測されるので、株価の変動をもって経済の変動の代理変数として見ると、90年代に株価が大きく値下がりして、その中で危機と呼ばれた局面が4回あります。1つは92年8月、2番目は93年11月末、それから95年7月と98年10月です。その4回の局面でどのように対応して流れを変えたかというと、92年の8月は宮沢政権が10.7兆円の景気対策を打ちました。それから、93年11月末のときは、最終的には94年の2月までずれますが、同じ時点から、実は所得税減税の先行実施などが浮上して、これを決めたのは94年の2月で、15兆2500億円の対策を決めています。それから95年の9月に、村山政権が14兆2200億円の対策を決めて、これに先立って、日銀は7月と9月に金利引き下げを行っています。98年の10月は、金融問題に対応して60兆円の金融支援策を固めて、翌11月には23.9兆円の景気対策を決めた。つまり、4回とも、ある程度の財政政策を中心にした政策対応が打ち出されました。財政需要によって、需要水準そのものを高めようという施策をとっています。

その後の市場の反応を見ると、4回とも株価が5000円から8000円上昇して、経済活動も一定の改善を見ているわけです。特に暦年の96年は、実質で3.4%の成長を実現した。株価は2万2600円まで上がりました。それから、2000年も日本の経済成長率は2.4%、株価も2万800円まで上昇した。ということで、非常に大きな成果を上げています。

ただ、それは結局長続きはしませんでした。そのことについて、人為的な景気対策は有効でないという話がしばしばなされますが、もう少し正確に実態を調べてみると、実は、事実と異なっています。というのは、93年の半ばに、株価は2万円を超えますが、これが崩れていきます。このときの要因というのは、記録的な冷夏が日本を襲って、夏の消費がものすごく落ちて、それ以外に、細川政権が生まれた年ですが、政策の空白が数カ月あって、政策が全く止まってしまいました。もう1つ、ゼネコン疑惑があって、公共事業の動きが止まった。それからクリントン政権が発足して円高が進行した。さまざまなことが重なって、腰折れしている。

94年の場合は、日銀が時期尚早の利上げの動きを本格化させて、世の中は利上げムード一色になった。これを背景に株が2万円を割り込んで、景気が悪化に転じます。そこに、95年に入って1月17日の地震とか、3月20日のサリン事件とか、3月、4月には円・ドルレートが1ドル80円を突破するとか、これが重なって、株価1万4485円まで急落していった。ですから、この2回のケースは、冷夏とか地震とかサリンというアクシデントにかなり左右されています。いずれにしても景気対策の効果が持続しなかったのではなくて、外的ショック、あるいは94年の場合には政策の間違った対応があって、悪化しただけです。

それから、3番目の96年ですが、株価は2万2600円まで上がっていました。ここに橋本政権が登場して、消費税の引き上げの方針を正式に閣議で決定したのが96年の6月25日です。株価は6月26日から下落を始める。結果、橋本政権は97年度に非常に強硬な緊縮政策をとっている。それで98年の10月まで2年3カ月で株価は1万円の暴落になった。つまり、橋本政権のあの緊縮政策がなかった場合、検証のしようはないのですが、なかったら多分全く事態は違っていた。超緊縮の政策がとられて、1万円の暴落になりました。

4番目は、2000年です。小渕政権の政策対応により、株価は2万円を突破し、経済成長率も2.8%を記録しました。しかし、2000年4月に小渕首相が倒れ、森政権に移行し、緊縮財政に政策が転換し、また日銀が金利引上げに動いた。翌2001年4月に小泉政権が発足し、緊縮路線を強化しました。株価は1万3000円も暴落しました。

長い説明になりましたが、要は、90年代に政策が景気浮揚策を方針として示して、それに見合う、ある程度の規模の政策を発動した局面では、4回とも株価の本格上昇と経済の流れの転換に成功しているんです。ところが、93年の場合には冷夏だったし、94年の場合には、日銀の政策にもよりますが、地震とかそういうのが一気に重なって崩れたし、96年とか2000年の場合には、基本的に政策の逆噴射によって壊してしまった。ですから、日本経済の低迷が長期化していることについて、積極的な経済政策は効果がなかったと説明する向きが非常に多いのですが、実体を詳細に調べるとそうではなくて、景気対策は効いたけれども、経済が軌道に乗った局面とか、軌道に乗る直前で政策の逆噴射、私は「負のケインズ政策」と呼んでいるんですけれども、そのような政策をとられたために、経済の改善というのは水泡に帰している。これが歴史の真実です。

(後略)

経済産業研究所
■第7回「日本経済の問題を需要不足にあると見て、財政出動を重視する選択肢」
植草一秀(野村総研→早稲田大学大学院教授)氏との対談
http://www.rieti.go.jp/users/iio-jun/discussion/07.html

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この部分は最近、亀井静香勝手連BBSで紹介されていて(わたしも未読だった)、ここまでの分析があれば、いつ株を買えばいいか良く分かるという書き込みがあったが、その通りだろう。

最近の企業業績の回復は構造改革とは無関係(郵便局を民営化したからといって景気が良くなるわけがない)、株価の回復が大きな原因の一つであることがよく分かるだろう。その上で短期には株価を回復させるのが最優先で、適切な財政出動を行えばよく、構造改革は中長期的な課題だ、と植草氏らは小泉首相登場前から述べていたのだった。

植草氏は今日の論説で、小泉改革で自殺者を多数出す一方、ある勢力が儲かった、と次のように推理している。

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(前略)

 小泉政権は、(りそな銀行の)最終局面で「破綻処理」でない「銀行救済」を選択したのである。最終局面で預金保険法の「抜け穴規定」を活用して「銀行救済」が選択されるなら、もとより株価が7607円まで暴落する必然性は存在しなかった。小泉政権は最終局面で「抜け穴規定」を活用することを、かなり早い段階から検討していたのだと考えられる。その意思決定には米国が深く関与したと見られる。

 小泉政権は「金融危機」なる「風説」を流布し、株式を「売りあおり」、最終局面で預金保険法102条の「抜け穴規定」を活用して「銀行救済」を実行し、株価の猛烈な上昇を誘導したと言っても過言ではないような行動をとったと判断することができる。国家ぐるみの「株価操縦」、「風説の流布」的行為の疑いは濃厚である。そしてこの方針を事前に入手した投資家が株式売買に動いたのなら、実質的な「インサイダー取引」が行われたことになるのだ。
 
(略)

 結局、小泉政権は「銀行救済」を選択したのだ。「自己責任原則貫徹」を放棄し、「金融システムの安定性確保」だけを求めることになった。このような「安易な道」を選択するのなら、それまでの大混乱は不必要だった。株価の暴落誘導の巻き添えを食らって塗炭の苦しみに直面した国民をどれほど生み出したことか。年間3万人を超える自殺者のかなりの部分がその犠牲者でもある。逆に外資系ファンドなどは、人為的な資産価格暴落による資産の底値買いにより巨大利得を獲得したと考えられる。小泉政権は資産価格暴落誘導と並行して、「対日直接投資倍増計画」を実行し、外国資本による日本資産取得に注力してきた。

(後略)

宮崎学責任編集「直言」UEKUSAレポートPlus
2006.06.25第10回「失われた5年−小泉政権・負の総決算(4)」
http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/06/10_47b9.html

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小泉政権はクリーンな政治からは程遠い、非常にタチが悪い内閣であると、わたしは前から述べてきたが、改めて実相が透けて見える。蛇足だが、わたしは植草氏の手鏡事件は免罪だと判断している。植草氏がじゃまでじゃまで仕方がなかったのだ。


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Posted by 渡久地明 at 14:07│Comments(0)デフレ脱却
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